一回性の連続――無文字社会の記憶をつなぐ「パフォーマンス」

一回性の連続

 日経新聞に六月頃から毎週月曜日(祝日を除く)コラムを書いている。一三〇〇字程度だからちょっとした小話を書くと字数は尽きてしまう。いつも倍ぐらいの字数から削っていくのだが、削る気になればいくらでも削れるもので、しかし削っていくうちにいいたいことに至る前の前座みたいな話だけになってしまうことが多い。ある程度の字数がないと説明しきれない話は、誤解されたくないからそっくり引き出しに戻してしまうのだ。でも増やすよりは削るほうが好きなので、それが嫌だというわけではない。ざくざく、ちまちま、削っていく。
 しかしときどき、ちょっと、ん、と立ち止まることがある。ここから先は、もうすこし言葉がいる。これはやはりどこかで、書かなくてはならないことだ、と思う。今回もそうだった。先住民族についてわたしが考えていることは漠然としたひろがりをもってさまざまなことにつながっている。この話はその触手のひとつと確実につながっている気がする。そう思った。なので日経に書いたことの先を書いて、ここにあげてみようと思った。最初のほうはだから、記事(「プロムナード」『日経新聞』二〇一二年一一月五日夕刊)と重複するものになっているのをお許し願いたい。


 物忘れをしないためには脳で覚えないことだ。文字という記録法を発明した人間は「いくらでも拡大しうる知識」を手にいれた。忘れたくないことは、書き残せばいい。最近は紙というモノさえいらない記録媒体が増えている。しかしどんどん新しくなっていく電子媒体は、どれだけの間、維持されうるのだろう? 和紙に墨で書いたものは千年以上保たれていることもある。電子カルテがそんなにもつとは、どうも信じられない――近藤孝さんというお医者さまがこんなことを書いていらっしゃるのを拝読した。(『南労会ニュース』2011年1月31日号より要約)。

 電子記憶媒体は紙媒体にとってかわるのか。これについてはまだよくわからない。わたしは紙が好きですが、これが感傷的なのか実際的なのかは、もうすこし経てばはっきりしてくるだろう。ただ文字記録の脳記憶に対する優位については、多くの人が当然と考えているのではないか。

 世界のいくつかの土地で地元民の方々と知り合いになって、これまで漠然と信じてきたことに勘違いの思いこみが入りこんでいるのでは、とはっとしたことが何度かあった。文字に関することも、そのひとつだ。
 文字のない文化は稚拙で劣っていると信じている人は多い。サモアもトンガもフィジーもタヒチもアオテアロア(ニュージーランドと名づけられた島をマオリはこう呼ぶ)もラパヌイ(こちらはイースター島)も、文字はありませんでした、というと、じゃあ白人との接触以前のポリネシアの歴史文化はまるで記録されなかったのですね、と残念そうな顔をされる人がいる。それは違う、と思う。

 人類史上最古にして最新、考えかたによっては最強の記録媒体、それは脳だろう。文字はたしかに一個人の寿命を越えて言葉を伝える優れた道具だが、これがないと歴史も記録もないと考えるのは間違いだ。パソコンや本や木簡がなくても、人は覚えて伝えることができる。

 文字を発明しなかった文化のほうが世界には多い。日本はたまたま漢字文化圏に近かったので隣国から文字を輸入したが、それまではなかった。文字の発明自体だいたい数千年前と、人類史上比較的新しいものだ。

 すくなくとも4万年以上現在オーストラリアと呼ばれる大陸で暮らしてきた先住民(アボリジニ)と総称される人々は、世界をつくった祖先の旅物語を歌で暗記し、代々伝えてきた。かれらに限らず世界各地でこの世の創生や神々の逸話を口承で伝えてきた人々の間に、驚くべき記憶力を示す語り部が存在してきたことを、多くの研究者が指摘している。文字がない文化では脳記憶がフル活用される。録音再生も巻き戻しもない、一回だけだから聞く方も真剣である。あとでノートを見れば、というわけにはいかない。

 ソング・サイクルと白人研究者や旅行記作家たちが呼んだものについては、深い哲学的なレベルから表面的な観察まで、さまざまな説明がなされている。わたしがいくつかの本から理解した、具体的な儀礼のやりかたとしてのそのありようを、極力単純にいえばこうなる。定まった時期に定まった歌を、その歌に歌われた場所に集まって、踊りや身体装飾などを伴う総合儀礼として上演する。一連の歌物語の一部をやるときもあれば、全部というときもある。

 こうした行いは土地の「維持管理」のために欠かせないことで、やらないと問題が起きると考えられてきた。昔の白人入植者たちはかれらがよく「ウォークアバウト」つまりぶらぶら叢林の中に消えていってしまう、気ままで勝手な人たちで頼りにならない、といったものだが、じつは長老たちを中心にみなさんやるべき仕事がたくさんあって、忙しく動きまわっておられたのである。

 特定の土地とその場の自然に関わる人間は、表面に現れていないものも含めその土地の性質をさぐり、たどり、理解して、繰り返しかれらが咀嚼し納得できる物語として保存してきたその起源を再現し、後世に伝える義務がある――
 こういう考え方は、土地とはもっぱら人間の物質的生活を豊かにするために最大限利用するべきものと考える人たちには、面倒くさくて迷信的にしか響かない。しかし、土地と人間の関わり方は根本から考え直される必要があるんじゃないか、という疑問が、これまでにないほど多くの人々の間でじわじわ支持されつつある現在、こうした考え方をむしろ新しい、とみる人もいるだろう。モノとココロを分断する西洋近代的な説明法でいえば、この考えはすくなくとも二重の意味で効果的だ――土地に関する地質学的・気象学的・鉱物学的その他人間に役立つ具体的な知識の長期にわたる保持のために、そして特定の土地の特定の人間にとっての精神的な意味づけを保証し世界を安定した意味のある場所にするための心理装置として。

 ただし、かれらはこんな説明のしかたをしない。ある場所にたとえばウラン鉱脈があることと、その場所が宗教的に重要な土地であることは、切り離しうることではなく、ひとつのこととして認識される。その場所を説明するための歌、物語、物語に現れる祖霊および祖霊と結び付けて考えられる動物、禁忌すなわち法、図像、ダンス、ボディペインティングは、同じひとつのことを指示している。そこはたとえば蜜蟻の聖地だ、岩山は崩してはならない、そこでこの歌をかならず歌わなくては世界が終わる、とかれらがいうのは、まさにかれらの知の言説において、それがもっとも正しい説明であるからだ。土地は、読み上げられ、歌われ、維持されなくてはならない。

 わたしはこういう土地のメンテナンス法は、文字に残さない脳記憶の文化と密接に関連しているのではないか、と思うのだ。

 一固体としての生命が終わるときに脳の機能も終わる。記憶は生物としての個人の寿命の長さしか保持されない。だからこそこれを伝えていくためには生きている時間の中で繰り返し歌を歌い、祈りを唱え、所作を行い、踊りを踊って確認をつづける。一回性の記憶が次の一回性の記憶に環をつなぎ長く伸びていくために、パフォーマンスが必要なのだ。

 演じることは再現すること、現在に過去を顕現させることで、それは文字通り未来に過去をつないでいくために必要な作業である。歌われない土地は荒れてしまう、儀礼をしなくては土地がだめになるというのはそういうことだ。その土地にまつわる物語に織り込まれた過去の記憶、人と土地の関係が、繰り返されるパフォーマンスにより維持されていく。土地の起源を、神話の歌を、忘れてしまうということは、その土地との精神的つながりを失ってしまうということだ。

 そんなことどうでもいいでしょう、と一笑に付すことができる人は、ある意味では幸せな人なのかもしれない。土地と自分の深い結びつきを疑ったことがないということなのだろうから。ひょっとするとそういうひとこそ「原住民=original tribe」と呼ばれるべきなのかもしれない――史実や人類学的検証によって与えられる名称ではなくて、文化論的に獲得される称号、確信によって保障される権利として。ただしかれらが信じている土地とのつながりを、土地のほうも受け入れているかどうかは、別の問題だ。自然は人間とは、実際の話、関係がなく動いていく。人間が関係づけるために、自然に働きかける、そのやりかたのひとつが、土地とのつながりを説明する物語をつくること、自分の精神をそこに落ち着かせることである。それを先住民は、土地の維持管理、と説明する。

 他方、土地とのつながりを納得させてくれる物語を切実に求めている、という人もいる。この土地は自分にとって一番懐かしいのに、じつは自分はよそ者、それも土地に根差した人々の暮らしを切り裂いた侵略者の子孫である、という自覚をもつ人々がそうだ。植民地入植者の子孫の心に、かれらの文学を通して接してみて、繰り返し思い知らされるのがこの土地に受け入れられてあるという確信を求める心理なのだ。

 もちろんそれは入植者の子孫であればだれでも抱えている心理というわけではない。また、この心理はじつは歴史上のある時期に植民地支配者の子孫たちにつよく自覚されたものなのではないかとわたしは考えている。存在についての問い、自己の位置への内省がつよく意識された二〇世紀の作家たちの心理なのではないかと。かれらの多くが先住民に「再会」することを望み、かれらの物語に深い関心を抱き、そして多くの場合、出会えず、出会っても理解しあえたと感じることはできずに、「内奥」の地を思いつづけた。パトリック・ホワイト。ジーン・リース。ローレンス・ヴァン・デル・ポスト。ウィルソン・ハリス。

 おもしろいことに、先住民の側で守ってきた伝統の維持が危機的状況になってきた頃、そしてランド・ライツ・ムーヴメントなど先住民側の主張がそれまでのように無視できない社会的な流れが生じてきた頃、つまり先住民がまったくの「他者」ではすでにありえないということが入植者の子孫側にも先住民側にも確認されだした時点で、こうした「内奥」への憧憬は崩れ出し、より現実的で日常的な「かれら」の物語が両サイドから出てきた。(そしておそらくまたしてもジーン・リースは、その分岐点に立って両側を見ている――他の作家たちに比べれば言葉少なく、社会学的分析よりは精神医学の分野に任せたほうがよさそうな人物をつねに描いてきたこの作家が、徹底して自分の内の真実だけを描こうとしたことから身を置くことになった特異な観測地点には、ほんとうにどこから書いたらいいのかわからなくなるほどいうべきことがある。)どちらの描写にも、わたしはとても興味をひかれる。だがこのことは、ここで主に語ろうと考えていることではない。

 先住民側の視点に戻れば、精神的とわたしたちが呼ぶ土地とのつながりの保持が同時に、土地との物質的つながりであることを強調しておかなくてはならない。儀礼がすたれ、歌が歌われなくなり、物語を失い、土地の名を忘れることは、具体的な損失であり、ときには壊滅的な破壊を意味する。水の行方、風の暴力、地熱のリズム、魚の遡上時期、動物の繁殖期、奇妙な石の忌避、地中の富の存在。こうしたことを忘れる、ということがどれほど恐ろしいことか、台風エリアにあり地震国である日本に暮しているものは、身にしみて感じていなくてはならないはずだ。だがわたしたちは事実、かなり多くを忘れている。文字に頼り過ぎたから、と言い切っていいとまでは、文字に多くを頼って考えてきたわたしは言いたくない。だが、そういう側面も、あったのではないか。すくなくとも文字に書かれたものだって、「演じられる」必要、つまり読まれ、繰り返し言及され、検討される必要がある。それを怠り大切な物語が忘れられていけば、災厄は免れない。そういうものではないか。

別の言い方もできる。

 中川裕氏の『語り合うことばの力――カムイたちと生きる世界』(岩波書店 2010)のなかに、書かれた契約がないとき「口約束」はなによりも重い契約であった、と書かれてあった。口に出していったことばの掟、契約が、文字の前に容易く負けていったときがあった。国家と文字の結びつきを説明した書は多いが、文字を持たない側のことばのつよさ・よわさについて考えることはなかった、と思った。聖書には文字文化と無文字文化の混交、せめぎあいが見られるような気がする。キリストはすくなくとも書かなかった。語っただけだ。書いたのは弟子だった。キリストはDNA上は意見が分かれるだろうけれど、すくなくとも家庭環境的には大工の息子であったことは書いた者たちが認めている。彼は字がすらすらと書けたのだろうか? 

 無文字文化において神との契約は口頭で更新されなくてはならない、儀礼でうたわれ演じられることで継続されなくてはならなった。わたしたちの記憶に、この呪術的な言語の意識はまだ、すっかり消えていないのではないか。耳で聴く言語に、いまもわたしたちは惹かれる。

 朗読は文字で戦ってきた、黙読のために書いてきた詩人たちのことばを緩めてしまう、という荒川洋治氏の長年の意見に、わたしは一面では共感し納得しながら、別の面ではなにか違う種類の言語というもの、近代文学が洗練し彫琢し問いかけてきたのとは別種のきびしさを持つ言語のことも考えていた。そうした言語に、現在のわたしたちが詩を朗読することで近づいたような気になるのは、安易すぎる。だが朗読がしたい、聴きたいと思う人のこころに、古い古い耳で聴く詩に惹かれる気持ちが消え残っていると考えることはできるのではないか。

 大切な歌を繰り返し演じること。文字文化であれ無文字文化であれ、それは死すべき存在であるわたしたち人間が生をつなぐために採用してきた、知の継続のもっとも基礎的な方法なのではないだろうか。

 この根本的な場所から、学術という世界のありようもまた、再度問われなくてはならないのではないか。大切な歌とはなにか。その主要な欠くべからざる中心が主に西ヨーロッパでこの二、三千年ほどの間に生じたものにあるなどとは、もはやわたしは全く信じていないのである。そしていまや当たり前すぎるように響くこのマニフェストは、わたしがその末端にぎりぎり存在を許されている(と信じているのは当人だけなのかもしれないが)学問世界において、実際に引用され扱われているテキストを眺め渡したとき、いまだに圧倒的に少数派のものなのだ。

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